第73回松本市PTA連合会研究大会 講演 質疑応答記事全文

小平奈緒さん 質疑応答

大きな大会や目標に向けてどのようにモチベーションを上げていますか?

大きな大会はすごく期待がかかるんですね。私は常に期待は背負うものではなく、抱くものという考え方を持っています。「自分自身に対する期待が周りの期待より大きくなっていれば、周りの期待は全て応援になるんだよ」と子どもたちに伝えたくて。なので、自分自身に期待を大きく持って、他の人から受け取る期待は全部応援なんだと切り替えていただくと、モチベーションを上げなくても自分の中から湧き出てくると思います。自分が自分自身に期待してあげることが最大のエネルギーになると思っています。

練習や努力が積み重なると、自分自身に期待できるようになりますか?

どんな結果であっても自分自身を持っている選手は強くて、例え結果が出なかったとしてもしっかりしていると感じる。人に操られる操り人形なのではなく、その手綱はしっかり自分で握っている。「自分がどうしたいか」と自分を持っている子どもは、大人が無理にモチベーションを上げさせなくても、自分から頑張りたい・自分の夢に向かって進めると思うので、それをうまく引き出してあげるのが周りの大人の役目なんじゃないかと思う。

親は、モチベーションを上げられるように、支え・見守ってあげることが大事ですか?

うちの両親はそんなにスケートのことを知らないタイプでした。ご両親はどうやって育てたのですか?という質問はよくあります。私としては、少し放っておいてもらえたのがすごく良かったなと思っています。ただ放っておくのではなく、少し放っておく、その少しがすごく重要で、「奈緒ならできる」って信じて放っておいてくれているんですよね。なので、やる気上げて頑張れ!頑張れ!じゃなく、背中を押すよりもタッチするくらいがちょうどいいと思います。

モチベーションを上げる勝負飯は何ですか?

幼いころから好きだったのは母が握ってくれたおにぎりが好きでした。スペシャルな日は、鮭が入っていたんです。いつもは梅干しで、最悪な日は種入りの梅干し。朝ごはんの鮭が残ったらおにぎりに入るシステムで。でも、それは私の当たりの勝負飯で、鮭のおにぎりだった日はモチベーション爆上がりでした。おにぎりは、ずっと母親が握ってくれていたんですけど、とある大会でコンビニおにぎりを差し入れしてくれた保護者の方がいて、私はコンビニのおにぎりの開け方が分からなかったんです。友達はみんな当たり前のようにきれいに開けられていたんですけど、私は全然開けられなくて、ちょっと半泣きになるくらい恥ずかしい思いをしたんです。それを母親が見て、さすがにそれは経験させてあげた方が良かったって後から言ってくれたんです。でも、今考えると母親の手作りおにぎりが食べられていたのは、本当に幸せだったなと思います。

小中学校時代はどんなお子さんでしたか?ご両親から言われて嬉しかった言葉はありますか?

中学生の時に部活動と宮田村にある宮田スケートクラブの活動と両立していた時、いつもは両親が送り迎えしてくれていたんですが、夏休みは電車で行きなさいと言われました。当時の私は本当に人と話せなかったんです。で、そんなの私無理無理無理無理って言ったんですけど、母親が茅野駅まで送ってくれて「あんたには目と口と耳がついているから大丈夫。いってらっしゃい」って駅にポンって置かれて。でも、私もスケートの練習がしたいので、行きたい気持ちと無理な気持ちがぶつかり合って、行くしかないと思って行きました。岡谷で飯田線に乗り換えて、宮田駅が無人駅で、このまま降りて駅を出たら捕まらないかなと不安になったり、でも無人駅では車掌さんが電車から降りてきてくれるからその時に切符を渡せばいいんだなって、周りを観察しながら行きました。一回試して行ったら結構自信がつくんですね。私にできたっていう自信がついて、それからは恐怖もなくできたんです。なので、自分でどうにかしないといけない環境に身を置かせてくれたということは小中学校時代に私のためになったなって感じました。

スケート以外の習い事はしていましたか?

していました。小学校の時は水泳とピアノとテニスは一年間だけですけど、通信教育に書道も。あとは小学校で金管バンドのクラブに入っていました。ただ、何かを始めるときに必ず両親と約束したことがあって。お姉ちゃんたちがやっているから私もやりたいって言ったときに、「奈緒はこれを6年生まで続けられるの?」って言われて、そこで私が「続けられる」って言うじゃないですか、もうそこには責任があって、6年生までは続けるっていう約束のもとで習い事をしていました。一生懸命やりました。6年生までは続けました。

たくさん習い事をしていて勉強する時間はありましたか?

中学生になってスケートに割く時間が増えてきたときに1年生の時は成績良かったけど、2年生、3年生になった時、ちょっと成績が落ちてきた時期もあったんです。クラブと部活の掛け持ちをしていたので、夕方学校で部活して、夕ご飯を母か父の車の中でおにぎりを食べて、夜7時半から9時まで宮田村で練習して帰ってくると10時半。そこからだともう寝ないといけないじゃないですか。時間割を考えると宿題をやっている時間がないので、宿題は常に朝にやってました。学校の時間で勉強する、その時間でやらないと、他の時間はないよって感じでやってましたね。

練習時間が多くてお休みなんかなかったんじゃないですか?

そうですね、なかったですね。私もですけど、両親も休みなく付き添ってくれたと思います。なので、振り返って、本当によくやってくれたなと思います。私自身もすごく頑張りましたけど、その頑張りをちゃんと支えてくれた両親の頑張りをこれから恩返ししなきゃいけないなと思っています。

新たなステージに向けてやってみたいこと楽しみにしていることは何ですか?

ここからが私の人生試される時だなって思っていて、私はこれまで「知るを愉しむ」をすごく興味をもってやってきました。その延長線上を作っていきたいという思いがあって、学校の先生になるという夢があるんですけど、学校という枠にとらわれないような広い活動をしていきたい。子どもたちと「知るを愉しむ」ことを共有する空間づくりをしていきたいと考えています。子どもたちの第三の居場所、こころのよりどころになるような空間を作れたらいいなと考えています。慣れないことなので不安も大きいですけど、誰でも初めてのことは不安ですし怖いと思うんです。けど、飛び込んできて乗り越えてきたことが私にはたくさんあるので、飛び込んでみたいなと思っています。